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ルーブル美術館の必見作品のひとつといわれる、『民衆を導く自由』。
自由という概念が上半身裸の女性によって擬人化された、アレゴリー画です。
1830年の7月革命を主題にしたドラクロアのもっとも有名な作品。
この作者のドラクロアが、1857年から亡くなるまでの最晩年、アトリエ兼、住居として使っていた場所がドラクロア美術館となって、公開されています。
入場料は7ユーロ。ただし、ルーブル美術館の一部という扱いなので、ルーブルに入館した際のチケットがあれば、同日、あるいはその翌日ならば、入場可能です。
場所は、サンジェルマンデプレ教会のすぐ裏手。大通りがとても賑やかなのに反して、一つ裏通りにはいると、きゅうにひっそりとした、落ち着いた雰囲気になります。
ここが美術館の入り口。看板は出ていますが、結構わかりにくい。
58歳だったドラクロアは、1857年にこのアトリエ兼、住居に引っ越します。当時サンジェルマンデプレ界隈にあるサンスルピス教会の壁画の注文をうけており、その壁画を描くために、教会近くの場所にアトリエ兼住居を持つことを希望していました。実際、教会までの距離は、徒歩5分ほどで、ドラクロア美術館に寄った後は、ぜひ訪ねてほしい場所です。
また、ちょうど1857年にドラクロアが美術アカデミーの会員にえらばれたこともあり、ルーブルに行く機会も多かったため、徒歩15分でルーブルにも行けるこの立地は、ドラクロアにとって好都合でした。
ここは、当時の寝室。
がらんとした空間に、ドラクロアと特別展関連作品が展示してあります。どうやら、頻繁にテーマが変わり、展示内容も変わるようなので、何度来ても楽しめます。
しかし、残念ながらドラクロアの生活の様子を知ることはできません。ここは、借家だったため、ドラクロア後にも別の人が住んでおり、彼の個人的な家具などは残っていないためです。
これは、ドラクロアが描いたフレスコ画。
教会の壁画をフレスコ画で描くために、60歳まじかの巨匠が改めてフレスコ画を習熟しようとして練習したものだそうです。
フレスコ画のフレスコとはイタリア語で「フレッシュ」という意味で、壁に塗った漆喰(しっくい)が乾かない、つまりフレッシュなうちに水彩で描く技法で、高名な油絵画家といえども、その技術は一から学ばなければいけないものなのです。
しかし、漆喰が乾かないうちに、早く書く、重ね描きができない、などの特徴があり、考えながら描いたり、何度も重ね描きをするタイプの画家には、向いていない技法です。
この技法とあわなかったドラクロアは結局フレスコ画での作成をあきらめ、油絵と蝋(ろう)をつかう技法で教会の壁画を仕上げました。持病の結核もあり、湿気のある環境での仕事がつらかった、という事情もあったようです。
この箱は、絵具箱。
相当大きなものです。この中に、小瓶に入った顔料(色の元になる粉)、揮発性の油、すり鉢などが入っていました。当時、チューブ入り絵具がない時代ですので、顔料は小さいガラス瓶の中にいれられて、このような大きな箱にしまってありました。
油絵具を作るときは、顔料を細かくすりつぶし、油を少しづつ足し、こねながら作っていきます。絵具を作るのは、画家のアシスタント達で、画家の指示で、絵具を作ります。絵画はアトリエで作成される共同作業だったのです。絵画一枚描くのに、どれほどの材料と労力が必要だったのか、垣間見ることができます。
こちらは、ルーブルに展示されている『ダンテ』の地獄に落ちている人物の習作。
ちなみに、こちらがルーブル展示の作品:
赤い頭巾をかぶっているのが、『神曲』の作者のダンテ。古代ローマの詩人、ウィルギリウスに手を引かれ、地獄を案内されています。地獄では、罪人たちが抜け出そうと、争いあいながら、ダンテの乗る小舟に乗り込もうとしています。
部分的に拡大します。
船に乗り込もうとしている、この裸の男性の顔の習作が、
ドラクロアの自画像のようです。地獄に落ちた人間に、自らの顔を使うところが粋ですね。
次回につづきます
(渦)
Musée national Eugène-Delacroix
6, rue de Fürstenberg 75006 Paris
火曜日定休
9時30分から17時30分
第一木曜日 21時まで
1月1日、5月1日、12月25日は休館
パリ一等地にある隠れ家的美術館、ドラクロア美術館 その1
2019-07-22
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