ブローニュ=ビヤンクールの建築巡り その①市庁舎 みゅうパリ ブログ記事ページ

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    ブローニュ=ビヤンクールの建築巡り その①市庁舎


    2016-10-23

  • ブローニュ=ビヤンクール市は、パリの西に位置します。パリ市の外とはいえ、メトロ⑨番線が走っているため、パリの外に出たという印象はありません。高級住宅街であるパリ16区とブローニュの森に隣接するブローニュ=ビヤンクールは、パリ市民にとってもお金持ちが住む憧れの界隈というイメージがあるほどです。

    さて、このブローニュ=ビヤンクールには、フランスの近代建築を代表する建築家、トニー・ガルニエによる市庁舎があります。

     

    1869年リヨン生まれのトニー・ガルニエは、絹織物職人の家庭に生まれました。地元の美大を卒業した彼は、パリに上京し美術の研究を続けます。数回の試みの末、最も優秀なアーティストに贈られるローマ賞を獲得したトニー・ガルニエは、30歳の時にローマで美術研究をする機会を得ます。

    このローマ賞は、フランス歴代の名だたる芸術家たちが獲得してきたもので、芸術家として名を挙げるためのいわば登竜門のようなものでした。ローマ賞受賞者は、ローマ滞在を約束され、古代ギリシャ・ローマの美術、ルネサンス時代の巨匠の作品を現場で研究することが許されました。本場で古典芸術に触れた彼らは、フランスに凱旋帰国し、その後はフランスを代表する芸術家になるか、芸大の教授になって若い芸術家志望者に「真の古典芸術」をおしえるのです。

    トニー・ガルニエもローマで古代劇場などを研究するべく旅立ったのですが、彼の変わっているところは、彼は魅力的な古代建築が溢れるローマで近代都市の空想に耽ったことでした。彼が空想していたのは、3,5000人がすむ理想的な工業都市とはどのようなものかということでした。フランスでは、1830年代から鉄道が全国に敷かれ始め、急速に工業化が進んでいる時代です。彼は、もっとも時代の息吹と必要性を感じ取っていたのかもしれません。

    彼がそこで考えたのは、都市を「ゾーン」分割するという考え方でした。工業地帯と住居区域を混ぜるのではなく、それぞれに別の場所に作る。住宅区域から工業地帯へは、毎日通えるように公共の交通機関を作る。住宅区域は、都心部にあふれている労働者が快適に生活できるような空間を賢く使った集合住宅を建てる。

    現代人の私たちには、いわば当然と思える近代都市の考え方も、当時では革新的なアイディアだったのです。ローマから戻ったトニー・ガルニエは生まれ故郷のリヨンに戻り、近代建築家として、屠殺場、病院、スタジアム、集合住宅をリヨンに建築します。

    さて、そのトニー・ガルニエにほれ込んだのが、ブローニュ=ビヤンクールの新市庁舎改築計画をすすめていた当時の市長アンドレ・モリゼです。リヨンに住むトニー・ガルニエに市庁舎計画の話をもっていき、彼を説得します。1年後彼の第一の設計図が完成。最終的には、11ヴァージョンも変更されて、今現在の形になったそうです。

    トニー・ガルニエのコンセプトは、「ゾーン」分割。市庁舎もまたその役割によって分割されています。まずは、市民の結婚式、そのほかの式典などを行う空間、市長室など、荘厳な雰囲気を必要とする空間は、外観にはブルゴーニュ産のクリーム色の切り石を使用し、内装はシンプルでありながら、かつ豪華さをそこなわないようにしています。ここは、結婚式をとりおこなう空間ですが、なんと内部は金色!

    一方、市民の行政作業をとりおこなう空間は機能と透明性を重視した造り。外壁には切り石ではなく、ひっかいたコンクリートを使用しています。

    中央には巨大な空間があり、その空間を囲むようにしてそれぞれのサービスが配置されています。

    ガラスが多様されているので、それぞれの空間に閉そく感がありません。行政差サービスが市民に開放されているのが、そのイメージ通りに建築として現前しています。

    この空間の、開放性は、ぜひ現場に行って体験してほしいものです。

     

    ブローニュ=ビヤンクール 市庁舎

    26, av. André-Morizet
    92104 Boulogne-Billancourt Cedex

    01 55 18 53 00

    月曜日から水曜日 8 :30から17 :30

    木曜日 8 :30から19 :15

    金曜日 8 :30から16 :45

    土曜日 8 :30から11 :45


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