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それでは、ドラクロア美術館の2回目
前半のブログは以下より
こちらは、当時の食堂。
残念ながら当時の家具は残っていません。
写っているタンスは、ドラクロアがモロッコに行った際に買った家具で、ここに置かれていただろう、とのこと。
ちょうど企画展で、バジール*1 のアトリエの絵画(いつもはオルセーにある)、ピカソの絵画がかかっています。バジールは、ドラクロアにあこがれて、かつて、この上の階のアトリエを借りていたのだそうです。
*1:バジールというのは、モネ、ルノワールの同期で、友人だった印象派画家。モネ、ルノワールの絵画が全く売れず、貧乏して、生活できなかった時に、自身のアトリエを彼らに開放して、共同アトリエとして、作品制作していました。バジールも無名だったのですが、彼の両親は資産家だったので、お金に困っていませんでした。このバジールのアトリエの絵画には、ルノワールや、マネが登場しています。
注目していただきたいのが、このドラクロアのパレット。
色彩派と呼ばれ、ダイナミックな構図でロマン主義の代表する画家となったドラクロアがパレットが、ここまで平然と色が置かれているとは!非常に興味深いです。
あたかも、色見本のように、理路整然と様々な色がパレットに置かれています。
この絵画は、どの絵の下書きかわかりますか。
そう、民衆を導く自由です。
完成版では、三色旗を右手に、銃を左手にもっていますが、ここでは、右手に短刀を持っているだけです。
剣から、三色旗に変えられることで、より絵画に理念性が加わったともいえます。芸術家の制作過程の発展がわかり、面白いですね。
見学を続けると、ひっそりとした中庭にでます。
その場所に、「離れ」のような建物が建っているのですが、これは、ドラクロアが大家さんに許可を得て建てたアトリエです。大きな空間のなかに、彼の作品群が展示してあります。
庭側からとったアトリエの正面。
光を取り入れるための大きな窓が、アトリエであることを物語っています。大きな窓その左右と、その下にある浮き彫りは、ルーブルにある、パルテノン神殿の彫刻の一部のコピー。彼にとって、古代ギリシャ美術は常にモデルの一つでした。ドラクロアの美のアトリエの正面を飾るのにふさわしいですね。
さて、この住居とアトリエですが、ドラクロアの死後、何人もの借り手が変わった後、1920年ごろ、取り壊されることになりました。そこで立ち上がったのが、当時すでに名声を確立していたモーリス・ドニ、ポール・シニャックなどの画家たち、美術館の学芸員たち、そして、蒐集家たちでした。
彼らは、ドラクロア友の会を結成し、1932年、ドラクロア美術館として開館しました。
フランスを代表する画家のアトリエ、ルーブル見学をするのでしたら、ぜひ!
渦
Musée national Eugène-Delacroix
6, rue de Fürstenberg 75006 Paris
火曜日定休
9時30分から17時30分
第一木曜日 21時まで
1月1日、5月1日、12月25日は休館
パリ一等地にある隠れ家的美術館、ドラクロア美術館 その2
2019-08-05
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