[みゅう]パリ 美術コラム 『青衣の女』カミーユ・コロー みゅうパリ ブログ記事ページ

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    [みゅう]パリ 美術コラム 『青衣の女』カミーユ・コロー


    2017-10-02

  • 風景画家として有名なコロー。1860年代からは人物画も多く描きました。今回紹介する『青衣の女(La Dame en bleu)』はコローの死の1年前に描かれた作品で、彼の晩年の傑作と言われている絵画です。

     

    美しい青いドレスを着た女性が中央に立っています。青いドレスのスカートの部分は2重になっていて、黒いビロードによって縁どられています。専門家によると、このドレスのスカートのデザインは、1872年から73年にかけて流行ったものだそうです。

    彼女は、背の高い譜面台のようなものに寄りかかり、肩ひじをついています。右手は女性の顎のあたりに軽く添えられ、女性の横顔とドレスから見える彼女の右腕は鑑賞者の目を惹きつけます。

     

    青いドレスは光沢があり、素材は絹のようです。服装から、彼女はブルジョワ上層階級に属しているのでしょう。左手には扇子が握られており、ティアラ型の髪飾り、イヤリング、ドレスの開口部にはレースが見えます。ドレスのブラウス部分は肩口からの露出が大きいため、これは午後の外出というよりも、夜会にでるための衣装なのでしょう。

    彼女は物思いにふけっているようです。肩ひじをつくポーズは、過去を懐かしむメランコリーを思わせます。

    彼女は夜会のドレスを着ているにもかかわらず、彼女の周りには華やかな装飾はありません。優雅なドレスとコントラストを示すように、質素な部屋が背景に描かれています。灰色と茶色の壁には、風景画が二つかけられていて、右の絵に至っては額にも入れられていません。そして、画面左はしに一部が見えているものは、キャンパスを固定するためのイーゼルです。そう、彼女がいるのは、コローのアトリエなのです。

     

    一体なぜ、美しく着飾った女性が画家のアトリエにいるのでしょうか。

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    カミーユ・コローは、パリで流行していた衣装産業に従事していた裕福な両親のもとに生まれました。画家を志したカミーユは、アカデミズム派の画家のともで絵画を勉強しますが、彼がもっとも学んだのは、パリ郊外、ルーアン、フォンテーヌブローで行った自然との対話でした。コローはまず、風景画家として知られるようになります。

    コローの描く風景は、単なる自然のコピーではなく、夢の中に出てくるような幻想的な風景でした。彼は自分がみたものをそのままキャンパスに描くのではなく、目の前に広がる風景から自分が感じたものを、あたかも夢の中の世界のようにして風景画を完成させていったのです。

    森の妖精が出てくるような、かつて夢の中で見たことがあるような風景画を前にして、同時代の人々は、コローを風景画家ではなく、「風景詩人」と呼びました。

    自分の主観を描いたという意味で、コローは印象派の先駆けということもできます。

    風景画家として名声を確立したコローは、1860年代から人物画を多く仕上げるようになります。彼が60代も後半に差し掛かろうとした頃でした。

    コロー自身は、人物画を気晴らし程度にしか考えていなかったようです。「自分の本職である風景画の注文をさばききった後、1週間ぐらいの休暇の間に自分の楽しみとして描く」のが、コローにとっての人物画だったようです。

    それでも、同時代の画家はコローの人物画を高く評価していて、例えばゴッホは弟のテオにあてた手紙の中で「コローの人物画は風景画に比べてあまり知られていないが、彼の人物画は無視できない。いってみれば、人物画家が人物を描くときに抱く敬意だとか、愛だとかを、木の幹にたいして抱いているのがコローなのだから」と語っています。コローは、木を人物のようにかいているので、本当のところは人物画家だというわけです。

    評価していたのは画家だけでなく、美術蒐集家たちもコローの人物画の重要性を知っていました。売りに出されるとすぐに買い手がつきました。

    人物画家としてのコローの名声が確立したのは、1900年。この『青衣の女』がパリ万博に展示されたのがきっかけでした。この絵は、バルドン氏がコローから直に買い取り、その後、何人かの所有者を経由したのち、アンリ・リュアート氏の個人コレクションに加わりました。パリ万博で公開されるまでは、リュアート宅に招かれた客しかこの絵は知られていなかったのです。

    万博で発表されたこの絵画は、全く知られていなかったにもかかわらず完成度の高い作品として鑑賞者たちを驚かせました。美術批評家たちにも、「青い色の力強さが際立っている。」「一連の動作の一瞬をとらえたのにも関わらず、決定的な一瞬をとらえることによってそれを永遠のものにしている。」などと絶賛されています。

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    さて、私たちの作品に戻りましょう。

     

    コローがここで描いているものは、まさにコローの目の前に見えている光景です。自分のアトリエにモデルを呼び、流行のドレスを着せ、優雅なアクセサリーをつけさせる。ポーズを取らせて、それを描いた。これが、美しく着飾った女性が画家のアトリエにいる理由です。

    同時代のマネは『草上の昼食』を1863年に発表しています。

    [みゅう]パリ 美術コラム 『草上の昼食』エドワール・マネ

    ギリシャ神話や、聖書の人物ではない、理想化されていないリアルな女性の裸体が描かれたことでスキャンダルになった絵画ですが、コローもまた、妖精でも、古代人でもない同時代の女性を登場させ、それをそのまま描くことで、リアリスムの一歩を踏み出していることも注目すべき点です。

    ただし、コローは優れた詩人でした。コローの親しい友人たちの証言によると、コローのアトリエはたいそう騒がしい場所だったのだそうですが、絵の中のアトリエは、静ひつで、何かミステリアスな場所であるように描かれています。モデルの女性は、あたかも自分自身が夢の光景を思い出し、その夢想のなかに自らを忘れているようです。私たちも、この絵をまえにすると、夢の中でこのような光景を見なことがあるような不思議な感覚にとらわれるかもしれません。

    (渦)

    ルーブル美術館 スリー館 2階 フランス絵画部門に展示

    題名 青衣の女 (作者78歳の時)

    年号/素材 1874 キャンパスに油彩

    作者/カミーユ・コロー(1796-1875)

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