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    サンタンヌ通りとゲイ文化と日本食レストランと


    2017-03-13

  • パリのサンタンヌ通りといえば、オペラ地区にある日本人街の目抜き通り。日本食レストランや日本食材屋がならびます。お昼時になると、スーツにネクタイをしたサラリーマンたちが定食を食べにくる。そんな、非常に「日本な」通りです。

    旅行中に、日本食が恋しくなったら、このサンタンヌ通りに直行すれば、いつもの日本の味に再会できます。

    ところで、「サンタンヌ」とはどんな意味かご存知でしょうか。

    「サンタンヌ」とは、SAINTE ANNEと書き、聖アンナという聖人を意味します。この聖アンナという女性、あの、聖母マリアのお母さんですよ!つまり、サンタンヌという方は、イエスのおばあちゃんということ。

    ルーブルにあるダビンチの作品で、聖アンナと聖母子という絵画があります。

    赤ん坊がイエス。抱きかかえようとしているのがマリア。そのマリアは、アンナの膝の上に乗っている、まさに親子三代が描かれている絵画ですが、この一番後ろにいるのが、サンタンヌです。

    サンタンヌ通りを歩いていると、交差点の建物の角にこのような彫刻を見つけました。

     

    サンタンヌと幼き頃のマリアです。聖母子像ではイエスとマリアなので、男の子が表現されますが、ここでは女性の隣にいるのは、ちゃんと女の子、幼き頃のマリアです。

    この道がサンタンヌ通りと命名されたのは、1633年。ルイ14世のお母さんであるアンヌ・ドートリッシュにあやかったといわれています。

    今では日本人街ですが20世紀初めから1980年代まで、この通りは同性愛者と男娼たちでにぎわうゲイな通りで、サンタンヌの公衆浴場といえばそっちのかたの出会いの場だったそうです。

    ゲイの文化はどうやら近くにある高級娼婦たちでにぎわっていたパレ・ロワイヤルから来たようで、パレ・ロワイヤルでお客をとれない男娼がこのあたりでいい人を探していたのかもしれません。

    1910年ごろからこの界隈はサウナ、バー、ディスコでにぎわい始めます。1960年代になるとゲイな作家、俳優、ファッションデザイナーが集まることで、サンタンヌ通りはもっとも「おしゃれ」な場所になっていきます。1970年代になると、マレ地区が同性愛者の新たなメッカになり、サウナ、バー、ディスコがマレ地区に移り始めるのと同時に、日本食レストランがそれに代わっていったそうです。

    そんな時代と人々の移り変わりを聖アンナと幼き聖母マリアはずっと慈悲深いまなざしで見つめてきたとおもうと、ああ、感慨深い!

    アーメン!

     


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