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    [みゅう]パリ 美術コラム 『落穂ひろい』ジャン・フランソワ・ミレ


    2015-10-12

  • バルビゾン派と言われた画家ジャン・フランソワ・ミレが1875年に描いた『落穂ひろい』は、世界中の観光者を集めているオルセー美術館の必見作品の一つです。

    有名だから、誰でも知っている絵画ですが、よく見てみると知らなかった細部があることに気が付きます。

    画面前面には、3人の女性が見えます。三人とも同じような服装をしています。彼女たちは農家でしょうか。絵のタイトルは、落穂ひろい、畑に落ちた小麦、落穂を拾っているのです。

    よく見ると、3人の女性のポーズは、一連の動きの一コマであるのがわかります。

    画面奥の青い頭巾をかぶっている女性は、落穂を見つけました。

    真ん中の赤い頭巾の女性は、落穂を拾います。

    そして、黄色い頭巾の女性は、エプロンをたくし上げてポケットのようにして、その中に拾った落穂を入れています。

    それぞれ3人は、束を持っていますが、そこにも穂がついているのでしょう。

    この拾うという作業の肉体的な苦痛が絵を見ていると伝わってきます。一日中かがみ続け、この広大な畑を一歩一歩進んでいくのです。女性たちの背骨はすでに曲がってしまっています。青い頭巾の女性の左手は腰に当てられていて、この作業のつらさが表現されています。

    落穂を拾う女性たちは、頭巾で顔があまり見えませんが、一番手前の女性の顔の横顔は日に焼けて真っ黒になっているのがわかります。19世紀の流行は白い肌を見せることで、女性たちは白粉を塗っていました。都市のブルジョワ女性たちはできるだけ太陽の光を避け、大きな帽子や日傘を使っていたことを考えると、この落穂ひろいの彼女たちは、一日中太陽のしたで直射日光にされされなければいけないのです。

    画面の背景を見てみると、畑にいるのは彼女たちだけでないのがわかります。

    左上には、大きな積みわらが見えます。その周りでは、大勢の農民たちが大きな束を運び、働いているのが見えます。今まさに収穫作業が行われているのがわかります。同じく背景、左には、馬に乗った人物が見えます。

    大地主が小作人たちを監視しているのです。そのさらに背後には、大きな屋敷が見えます。大地主の屋敷かもしれません。

    この背景の人々と落穂を拾う女性は、同じ階層の農民ではありません。背景にいる大勢の農民達は、大地主にやとわれた小作人です。

    一方でこの3人の落穂拾いの女性は、最も貧しい農民です。キリスト教の教えの中には、「収穫が終わった後に取り残して落ちた穂は、最も貧しい農民たちに分け与えなさい」、という考えありました。そして、ミレが生きた時代もその習慣が残っていたのです。

     つまり、ミレは農民の中でもさらに貧しい階層の農民を絵の主題にしたのです。

    3人の女性たちは画面の中心に据えられ、最も目立つ位置におかれ、背景にいる小作人たちの大きさとは大きなコントラストを作っています。

    この二つのグループの間に広大な畑をえがくことで、3人の女性たちがほかの農民とは同じ世界にいない、最貧困層の農民なのだということを伝えています。

    この絵を描いたミレという人は、シェルブールの農家の家に生まれたので、小さい時から農民の生活を知っていました。1849年、ミレ35歳の時、それまで絵画の勉強のために滞在していたパリを離れ、フォンテーヌブロー近郊の農村バルビゾンに居を定めます。テオドール・ルソーなどとグループをつくり、農民世界、田舎の風景がを多数手掛け、今ではバルビゾン派と言われいます。

    ミレの描くこれらの農村の風景は、当時多くの人から評価されました。

    産業革命が進み、裕福な市民階級が成立すると、彼らの邸宅に飾るための絵画が多く求められました。ビジネスマンではあるが、神話、宗教に精通しているわけではない裕福な市民階級は、テーマが重たい宗教画よりも、自分たちのかつて見た農村の風景を好んで買ったのです。ちょうど、世間のニーズに合っていたのだ、ということが言えます。

    ミレが農村で農民を描いたことは、美術史の中で大きな意義があります。

    それまで、絵画にはジャンルがあり、ジャンルには階層、ヒエラルキーがありました。

    身近にいる人々を描く風俗画というのは、そのジャンルでは最も低い位置にある題材でした。

    風俗画は、17世紀でも多く描かれますが、地位の低い下層の人々は、居酒屋で飲んだくれ男のような滑稽な姿で登場しました。しかし、ミレの主題となる農民たちは、尊厳がある人々として描かれています。肉体的にも、経済的に非常に苦しい生活の中でも、尊厳をもって仕事をしている人々の姿には、一種神聖なものを感じ取ることができます。

    低いと考えられていた風俗画というジャンルを、モデルとして考えられなかった農民を、尊厳がただよう宗教画のレベルまで持ち上げたのがミレの業績と言えます。

     

    落穂ひろい 1875(ミレ43歳の時)

    キャンパスに油彩

    ジャンフランソワ ミレ(1814-1875)

    オルセー美術館の1階(地階)に展示

    (渦)

     解説があると、美術鑑賞はもっと面白いですね。

     

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