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ハンガリー固有種で2004年からハンガリーの国宝に指定されたマンガリッツァ豚ですが、実は社会主義体制崩壊後の1991年には、絶滅の危機にあったのをご存知でしょうか。
マンガリッツァ豚の歴史は19世紀からはじまります。
当時のハンガリーはハプルブルク帝国の支配下にありました。19世紀前半にハンガリー王国を統治していたヨージェフ宮中伯(ヨージェフ・ナードル)もハプスブルク家出身です。あるときヨージェフ伯はセルビア公ミロスを訪問しましたが、その際に地中海タイプの豚でセルビア固有種スマディアの繁殖用母豚10頭と種豚2頭を寄贈されました。
ヨージェフ・ナードルはハンガリーの養豚が盛んな領地へと届け、古くからカラパチア盆地にて飼われているサロンタ豚(szalontai)と、ローマ帝国時代に持ち込まれたナポリ・ローマ原産と言われるバコニ豚(bakonyi)との交配に使った結果、マンガリッツァ豚が誕生しました。
現在、マンガリッツァ豚は毛の色で、金髪、赤毛、燕腹(全身黒毛で腹だけ白)と3つのタイプに分けられますが、これらは全く同じマンガリッツァです。
現在まで残る他の地中海品種はスペインの有名なイベリコ豚だけです。イベリコ豚とマンガリッツァ豚の共通項には脂肪タイプであることの他に、それぞれの土地の自然な餌を与えることと放牧されることがあります。適度な運動が飼育のポイントです。
誕生以来、ハンガリー養豚業界の中心であったマンガリッツァ豚の黄金時代は1950年代まで続きましたが、消費者の嗜好の変化により脂肪よりも蛋白質を多く持つ白豚タイプ(ケルト・ゲルマン種)の豚が、ハンガリー養豚界にも急速に広がって、マンガリッツァ豚は徐々に忘れ去られて行きました。
マンガリッツァ豚は1991年には絶滅の危機にあり、世界中にわずか200頭を残すのみで、燕腹タイプと赤毛タイプの繁殖用母豚の数は、それぞれ30頭のみとなってしまいました。
その1991年春、スペインの生ハムメーカーがハンガリーを訪れてマンガリッツァ豚に転機が訪れます。そのメーカーは畜産技師のトート・ペーテル氏と出会い、絶滅の危機にあるマンガリッツァ豚と出会い、マンガリッツァ豚を増やす仕事がはじまりました。以来そのスペインのメーカーは、イベリコ・ハム、セッラーノ・ハムと並んで、マンガリッツァ・ハムを生産・発売しています。
こうしてまずスペインへの輸出からマンガリッツァ豚の頭数が回復していき、その後ハンガリー国内の消費も徐々に、しかしブロイラーではないため高級食材として回復していきました。
ハンガリー国内消費者にアピールするため、2008年にはじまった「マンガリッツァ祭り」もさらに盛り上がり、現在ではブダペストだけではなく、時期をずらして地方都市でも開催されています。
その後2010年には繁殖用母豚の数が7000頭を超え、スペインのメーカーとトート・ペーテル氏がはじめた繁殖会社のみをみても、育成豚出荷量が年間15000頭までに増えました。白豚種などは1度に10頭以上の子を生みますが、マンガリッツァは一度に4から8頭しか生まないので、200頭からよくもここまで数が増えたものです。
最近は日本にもマンガリッツァ豚が輸出されていますが、是非一度ハンガリーに訪れてお試しください。もし日本で調理用のマンガリッツァ豚を入手したら、無理にハンガリー風や洋風に調理せず、生姜焼きにしたり、煮込んだりと、和風に調理してもとっても美味しいです。お試しください。
(この画像はブダペスト在住の板前さんによるマンガリッツァ鍋です。最高でした!)
担当:Tk
ハンガリーの食べる国宝「マンガリッツァ豚」
2014-08-26
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