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ブダペストから東へ列車で2時間弱(インターシティー直通の場合)、ビュック山系を背後に控える丘陵地帯の谷間に、エゲルはあります。
このエゲルはハンガリー史上、重要なイベントがあった街です。
それは1552年の対オスマン帝国軍とのエゲル城攻防戦です。エゲル城を攻略すべく押し寄せた4万人と推定されるオスマン帝国の大軍を、ドボー・イシュトヴァーン将軍を守備隊長とする2000名の守備兵団で撃退しました。
その後ドボー将軍が傷痍軍人として退役して以後、1596年の戦いではオスマン帝国軍が勝利し、エゲル城を征服。1687年に兵糧攻めにより駐留オスマン帝国軍が降伏し城を去るまでの間、エゲルの街はオスマン帝国の最も北にある占領地でした。
そのため現在も残るミナレットはオスマン帝国の痕跡としての北限でもあります。
現在残るエゲル城は内側の本丸的な城であり、現在「旧市街地」とされる範囲を取り囲む様にあった外側の城壁は、オスマン帝国退去後のハンガリーを支配したハプスブルクの意向により撤去されました。
その後18世紀の再建期はバロック建築の時代のため、旧市街地はバロック建築の宝庫です。
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エゲルの大学はエステルハージ・カーロイ司教により建てられたので、現在その名を冠しています。1785年に完成した建物は後期バロック建築(COPF様式)で、小規模ですが美しいバロック図書館が残っていて、見学も可能です。写真撮影禁止なのでここでは画像の紹介ができませんが、一件の価値ありです。
そして建物の東側の塔は天文学科の施設となっていて、天文学博物館、塔のテラス、そして小さな天体観測所横にある「暗室(Camera Obscura)」などを訪問できます。天体観測所を含めた塔の高さは53メートルで、エゲルで3番目に高い建物になります。
その大学の西側にはハンガリーで2番目に大きい教会があります。これはハンガリーで最大の教会であるエステルゴムの大聖堂と同じ建築家、ハンガリークラシック建築の巨匠、ヒルド・ヨージェフにより19世紀に、やはりクラシック様式で建てられました。
高さ54メートル、長さ93メートル、幅53メートルの主教座教会の建築期間1831–1836年の6年間。1837年に落成ミサが行われましたが、天井のフレスコ画は当時未完成で、完成まで100年以上かかりました。ちなみにドボーイシュトヴァーン広場にあるミノリタ教会の塔の高さが57メートルでエゲルで最も背の高い建物になります。
エゲルでの宿泊のおすすめはホテル・エゲル&パーク。国鉄駅から徒歩15分ほどです。街の中心付近にあり、大聖堂、ドボーイシュトヴァーン広場、エゲル城、温泉および野外遊泳場、ミナレットなど全て徒歩圏になります。
歴史とワインと温泉の街エゲルへ、ハンガリーご滞在中に是非一度お出かけ下さい。
エゲル
2014-06-10
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