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フランクフルト アンネフランクの家 PART-1の続きです。
1931年、両親、姉と共にアンネはMarbachwegからGanghoferstrasse24に引っ越しをします。理由は世界恐慌の影響で、生活レベルを落とさずにはいられなかったからだそうです。新しい家はより低い家賃で借りることができました。また、Marbachwegの家のオーナーが親ナチ派だったことも理由です。それにしても新しい家も立派な建物です。
壁に説明文が書かれていて、”アンネフランクが住んでいた”と書いてあります。アンネの日記の一部の抜粋も壁に掲げられています。
英訳すると;
“the final forming of a person’s character lies in their own hands”です。
日記でこの日アンネはある著者の若者に対する考に対し疑問を投げかけています。自分はそうじゃない、自分は自分を第三者として見ることができると。そして、自分にも悪い部分がたくさんあると言っています。それをうけ、父Ottoの言葉”All children must look after their own upbringing.” という言葉は正しいかったと回想します。そしてその後この標識の言葉がでてきます;
“Parents can only give good advice or put them on the right paths, but the final forming of a person’s character lies in their own hands.”(両親は良いアドバイスや、正しい道を示すことはできるが、自分を作り上げるのは自分だ)。
心打たれます。
さて、新しい家に移ってからも、マルゴットとアンネにはすぐに新しい友達ができました。また、新しい家と昔の家は徒歩20分程度の距離だったので、昔の友達にもすぐに会いに行けたのでしょう。
新しい家で暮らすようになって、マルゴットが学校に行き始めます。家の近くのLudwich-Richter-Schuleという学校に通います。野外授業などが行われたそうで、幸せそうなマルゴットを見て父親のOttoも嬉しかったのでしょう、Ottoの母親(アンネの祖母)に向けて手紙を書いています。
“マルゴットは天使だ。今日初めての遠足があった。とても幸せそうだ….。”
Ludwich-Richter-Schuleは今もあります。
アンネ一家はこの新しい家に2年間住みます。その後、金銭的理由でフランクフルトのBeethovenplatzにあるOttoの祖母の家に移ります。当時のDantestrasse4にあるお屋敷に移ったそうですが、現在その住所にはそれらしき建物はありませんでした。
Beethovenplatzには教会がありました。
マルゴットはこの家の近くの学校に転校したのですが、このころからユダヤ人として見られるようになっていったそうです。学校ではヒトラーの写真がかかげられ、ユダヤ人の生徒は他の生徒と別れて座らされました。
この後、アンネはアーヘンへ引っ越し、そしてアムステルダムへと向かいます。
たったおよそ90年前、アンネ一家はここフランクフルトで幸せな生活を送っていたかと思うと不思議な感覚に陥ります。食べて、寝て、仕事に行ってという毎日がどんなに大切な日々であるか考えさせられました。
Ganghoferstrasse 24の家への行き方
U1/U2/U3/U8 Huegelstrasse駅より徒歩6分
U1/U2/U3/U8 Dornbusch駅より徒歩12分
Ludwich-Richter-Schuleへの行き方
U1/U2/U3/U8 Lindenbaum駅より徒歩3分
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フランクフルト アンネフランクの家 PART-2
2018-04-01
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