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    ミュンヘン:戦後70年ダッハウ収容所


    2015-03-25

  • 2014年は第一次世界大戦から100年。戦争が終了したのは1918年。戦争はだれもが短期戦で終わると予想し、1914年のクリスマスでには帰れると社会は楽観視していました。死者は約1000万人、負傷者は2000万人までに上りました。ベルサイユ条約によって戦後処理がされ、多額の賠償を課せられたドイツ。その後の世界恐慌も重なり、ハイパーインフレと失業者率が一気にあがり、社会が混乱している最中、アドルフ・ヒットラーは経済政策や演説により市民を味方につけ、そして再び第二次世界大戦に突入しています。

    そして今年は2015年、第二次世界大戦から戦後70年となります。ドイツ各地でも戦後70年に関する展示やイベントが執り行われる予定です。

    ミュンヘン郊外のダッハウには戦争の忌まわしい傷跡としてダッハウ収容所があります。

    第一次世界大戦に火薬工場として使われていた施設を利用して建設されたダッハウ収容所

    多くのユダヤ人、政治犯、ジプシー、戦争捕虜などが収容され、合計で約4万人の方が命を落としたといわれています。写真は当時のシャワー室。

    刑罰の際に使われた木の棒。

    ダッハウでもミュンヘンからはるか離れたテーゲルン湖まで死の行進が行われ、大勢の方が途中で亡くなられました。

    34あったバラックはいまはなく、2棟のみが復元され、当時収容された人がどういった生活をしていたかを垣間見ることができます。

    この日は平日もあって、多くのドイツ人の学生や生徒が先生と一緒に訪れていました。

    ダッハウ収容所は無料で見学することができます。

     


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