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今日は、先週の日曜日に行われたトランスウマンシア祭りをご紹介したいと思います。
スペイン語でトランスウマンシアとは移動放牧のことです。
戦乱に明け暮れた中世、放牧業は重要な産業でした。一方、畑作農家は戦いの度に農地を荒らされ、それに加えて移動放牧で夏は北へ冬は南へ移動する羊の群れが通過するたびに農作物を踏みにじられていました。
※祭りのパレードの先頭は音楽隊
※北スペインの民族衣装、カラフルで綺麗
13世紀後半にカスティージャ王国とレオン王国を統治していた、アルフォンソ10世、賢王と称されるだけあって、民の事を考えてくださったのでしょう、1273年、重要な収入源となる羊毛をもたらしてくれる羊の移動放牧を保護すると同時に、畑作農民も守るため、勅令を発して、メスタと呼ばれる放牧者組合を設立すると同時に、羊たちが牧草を求めて夏は北へ、冬は南へ移動する際、農地を荒らさずに通れるルートを整備しました。
※パレードの羊たちはマヨール通りから街に入ります。
勅令で指定された、いくつかの移牧ルートは、幅72メートル、長さ500㎞以上、ルートの境には道標を建て、隣接する土地の所有者が道標を超えて侵入しないよう定め、「カニャーダ・レアル」と呼ばれるようになりました。今でも、スペイン各地を旅すると、いろんなところでこれら「カニャーダ・レアル」の名残に遭遇します。
※紫色のラインが「カニャーダ・レアル」
※パレードの最後はクラリネット?のおじさんたち
時は流れ、15世紀後半、カスティージャ王国のイサベル女王とアラゴン王国のフェルナンド王が結婚してスペイン統一を果たし、1492年にはナスル朝グラナダ王国を滅ぼしてイスラムからの国土回復を完遂、そしてコロンブスのスポンサーになって新大陸を発見。これらの偉業を果たしたイサベルとフェルナンド、カトリック両王が投じた膨大な資金の源となっていたのが、当時スペインが独占していたメリノ種の羊からとれる羊毛を欧州の国々に輸出して得るお金でした。
※羊たちの最後尾を守るのはシェパード犬
1480年、とにかく羊毛による利益を上げたい両王、メスタに対して「カスティージャ王国とアラゴン王国の領地においては、羊の移動をどこでも自由に行ってよい」という勅令を発し、メスタの組合長を宮廷議会のメンバーに任命します。メスタは強大な権力を持つようになり、羊の大群が通過するたびに畑作が荒らされ、農民は慄きました。
時代の変遷と共にメリノ種の羊が他国に流出し、羊毛の価値が下がると、メスタの権力は少しずつ衰えて行き、1836年に消滅しましたが、現在も羊の移動放牧は行われています。
※アルカラ通りを羊たちと一緒に移動する群衆
夏季、北スペインで過ごした羊たちが、この時期、牧草を求めて南部へ、カニャーダ・レアルを通って移動する際、マドリッドの街を横切ります。現代になって、インフラ開発、都市開発などで、牧草地が脅かされ、移動放牧の存続が困難になりつつある今、移動放牧の歴史を知ってもらい、その存続を一般市民にアピールするために、1994年からこの羊のパレード、トランスウマンシア祭りがマドリッドで開催されています。
※羊も人もシベレス広場の市庁舎をめざします。
昨年はコロナで中止となりましたが、今年は例年の半分以下の約は1000頭の羊たちと100頭の山羊たちがやって来ました。マドリッドは久しぶりのお祭りに、家族連れなど多くの市民が集まり、子供たちは生まれて初めて見る羊に大喜びです。
伝統儀礼にのっとり、マドリッド市庁舎前で、メスタ組合長が市長に対して、1418年の取り決めに定められた通行税を支払い、通行許可証を受け取ります。首都の交通は遮断され、車はすごい渋滞となりますが、みんな心得ていて、怒ったりしません。
※シベレスの噴水も羊の群れで埋まります
羊たちの様子を撮ってきたので、よろしければご覧ください。
羊たちが去った後は、彼らが落としていったものを市の清掃局の人たちが徹底的に清掃してくれるので、あっというまに街は元通りに綺麗になります。
秋晴れの朝、首都マドリッドを横切る羊たちと牧童さんたち、平和な気持ちにさせてくれるお祭りでした!
Lucymama
【マドリッド】羊たちが首都の真ん中を闊歩、移動放牧の祭りが戻ってきたよ!
2021-10-28
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