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スペインでは、3月になった途端、冬に戻ったような寒い日が続いています。
週末、マドリッドの西へ車で1時間ほどのところにある、お城を訪ねました。
サン・マルティン・デ・バルデイグレシアスという町にある「ラ・コラセラ」と呼ばれる古城。
15世紀にこの城を造ったのはアルバロ・デ・ルナという貴族。
お城に入るとすぐの部屋に、このアルバロ・デ・ルナがホログラムで現れ、彼とこの城の歴史を解説してくれます。
では、歴史を紐解きながら城内を見て回りましょう。
15世末にスペインを統一したのはカスティーリャ王国のイサベル女王とアラゴン王国のフェルナンド王、いわゆるカトリック両王でしたが、そのイサベル女王の父、カスティーリャ王国トラスタマラ王家のファン2世は1406年に1歳と10カ月で王位に就きました。その国王が幼少の頃から小姓として仕え、生涯40年間にわたりファン2世を支え続けたのがアルバロ・デ・ルナでした。
ファン2世は、従妹にあたるアラゴン王国の王子らの圧力とカスティーリャ王国内の貴族による権力闘争など、幼い頃から常に王位を剥奪されかねない脅威の中で育ち、15歳年上のアルバロ・デ・ルナを私生活から政治や軍事にいたるまですべてにおいて信頼し、国王に次ぐ力を持つコンデスタブレ(元帥)に任命、下級貴族だったアルバロ・デ・ルナは国王の寵愛を受けて権力のトップに登り詰めました。
ファン2世がポルトガル王家のイサベルと2度目の結婚をすると、この妃は、24時間常に国王と一緒に居て、王のすべてをコントロールしているアルバロ・デ・ルナの存在を異常に感じ、2人がホモセクシャルな関係ではないかという噂を聞きくと、この寵臣を国王から引き離そうと画策します。新妻に夢中になっていた国王は、アルバロと少しずつ距離を置くようになります。
2人の子供を産んだ後、妃は精神に異常をきたし始め、アルバロ・デ・ルナを排除するため他の貴族たちと結託、罠にはまったアルバロは敵対する貴族のひとり殺害してしまいます。国王はアルバロをバジャドリッドの城に拘留、形ばかりの裁判で様々な罪で訴追されたアルバロは有罪となり、国王ファン2世の命令により1453年、バジャドリッドのマヨール広場で斬首され、その首は一週間晒されたと言い伝えられています。
ファン2世はアルバロを処刑したことを悔やみ、心身ともに疲弊して翌年に亡くなります。
アルバロを追い詰めた妃のイサベルもその後、死ぬまでアルバロ・デ・ルナの亡霊に苦しめられたとか。
アルバロ・デ・ルナは下級貴族や一般市民に人気があったものの、国王の寵愛を独占して最大の権力を手に入れたことから上級貴族や王族からは常に敵視される存在でした。
ファン2世との間にホモセクシャルな関係があったか否かは誰にも分かりませんが、早くに両親を亡くし、権力争いが渦巻く中で生きなければならなかった気弱な王が、すべてにおいてアルバロ・デ・ルナを頼っていたのも想像に難くないですね。
城の上から望むサン・マルティン・デ・バルデイグレシアスの町
このお城は、アルバロ・デ・ルナの死後、様々な貴族の所有を経た後、2004年に個人の所有者とサン・マルティン・デ・バルデイグレシアス市の合意で財団が創設され、現在は財団によって管理・運営されています。
古城内部は修復され、様々なスペースが会議やイベント会場として利用できるようになっています。
財団のHPはこちら:https://www.castillodelacoracera.com/
モニュメントとして見学可能な時間は現時点で以下の通りです。
金曜 16:00-20:00
土曜 11:00-14:00 + 16:00-20:00
日曜 11:00-14:00
古城を見学した後は、すぐ隣のペラーヨ・デ・ラ・プレサの町にあるマドリッド州最古の修道院を訪ねました。そちらは別のブログでご紹介したいと思います。
Lucymama
【マドリッド】スペイン史を感じる「ラ・コラセラ城」を訪ねてきました!
2022-03-16
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