【マドリッド】 ラサロ・ガルディアーノ美術館、驚きのプライベート・コレクション みゅうマドリッド みゅうバルセロナ ブログ記事ページ

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    【マドリッド】 ラサロ・ガルディアーノ美術館、驚きのプライベート・コレクション


    2021-07-22

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    毎日暑いです。

    こんな時は、涼しい空間で芸術品に囲まれてみようかと、閑静な山手にあるの美術館へ。

    ラサロ・ガルディアーノ美術館には絵画、彫刻、家具、ジュエリーなど多岐にわたる芸出作品がなんと12,600点

    すべては実業家、ラサロ・ガルディアーノが生涯にわたって蒐集したもので、1947年の彼の没後、故人の遺志でコレクションと邸宅(サラマンカ地区の広い緑地に建つ、フロリダパークと呼ばれた豪邸)が国に寄付されました。

     

    緑あふれる敷地内

    緑あふれる敷地内

     

     

    翌年、ラサロ・ガルディアーノ財団が設立され、故人の邸宅に膨大なコレクションを展示したラサロ・ガルディアーノ美術館が1951年オープンし、一般公開され、今日に至ります。

     

    ラサロ・ガルディアーノの写真

    ラサロ・ガルディアーノの写真

     

     

    ところで、ラサロ・ガルディアーノって誰?と、調べてみたところ、努力で地位と富を築いた立志伝中の人でした。

    非常に興味深いので、美術館の作品を見ながら、彼の人生をたどって見ることにしましょう。

     

    ゴヤの版画集「ロス・カプリチョス」初版の表紙(ガルディア―のはゴヤの人生と作品に非常に興味を持ち、多くの作品を蒐集)

    ゴヤの版画集「ロス・カプリチョス」初版の表紙(ガルディア―のはゴヤの人生と作品に非常に興味を持ち、多くの作品を蒐集)

     

     

    1862年にスペイン北部ナバラ州の村で、わずかな土地持ちで極度に敬虔なカトリック教徒の父と優雅で美しい母の元に、7人兄弟の長兄として生まれる。母は幼少の頃に亡くなり、父は彼を中学まで通わせてくれたが、15歳で母の兄の伝手で、パンプローナのスペイン銀行に書記として入行。働きながら行内の採用試験を受け、18歳で正式行員となり、バジャドリ支店赴任、ここで働きながら大学で文学と歴史を学ぶ。

    18歳、単身、バルセロナに移住、ジャーナリストとして活動、才能と野心と容姿に恵まれ、当時の金融、政治、芸術界の名士と知り合い、交流を深める。

     

    ジュエリーコレクションのひとつ

    ジュエリーコレクションのひとつ

     

     

    28歳、マドリッドへ移住、出版事業を起こし、文芸誌「Espana Moderna」を創刊。金融、政治、文学、芸術界の名士と交流。

    1903年、41歳の時、6歳年上のパウラ・フロリダ・イ・トレドと結婚。アルゼンチン人の妻は過去に3回結婚し3回とも夫と死別。元夫の残した膨大な資産(南米各地に広大な農地や畜産農場を持つ)をラサロ・ガルディアーノが管理・運用。

     

    1. 6歳年上の妻、パウラ・フロリダ・イ・トレド
    2. 6歳年上の妻、パウラ・フロリダ・イ・トレド

     

     

    38歳で、長年スペインの主要都市銀行のひとつとなるイスパノ・アメリカーノ銀行(1990年金融統合で消滅)の創業メンバーのひとりとなる。

    1928年、66歳の時、第二共和制下、脱税容疑で逮捕、拘留される。当時としてはものすごい額の保釈金、1400万ペセタを払って仮出所。

    1933年、妻が死去。

    1934年、イスパノ・アメリカーノ銀行の取締役仲間だった法務大臣によって恩赦が適用されるが、この恩赦が社会的批判の的となる。この頃から社会との交わりを断ち、引き篭もる。

     

    グレコ初期の作品

    グレコ初期の作品

      

    エル・グレコの作品(下)とその息子の作品(上)

    エル・グレコの作品(下)とその息子の作品(上)

      

    スルバラン作、聖ディエゴ「花の奇跡」

    スルバラン作、聖ディエゴ「花の奇跡

     

     

    1936-1939 スペイン市民戦争中はパリやニューヨークに亡命。

    戦後、マドリッドに戻り、フランコ政権と調和を持って暮らす。フランコは彼が亡命以前に所有していた資産のすべてを彼に返却。

    どんな時も、生涯を通じて芸術品や骨董品の蒐集は常に精力的に続けた。晩年、邸宅は蒐集品で満杯となり、自らはホテル・リッツで暮らす。

     

     

    1. ジュエリーコレクション
    2. ジュエリーコレクション

     

    質も量も半端ない

    質も量も半端ない

      

     

    1947年、85歳で死去。子供はいなかったが、兄弟や姪甥は多数あった。しかし、自分が集めた膨大なコレクションが分散することを嫌い、すべての財産を国に寄付。

     

     

    ゴヤがオスーナ公爵夫人のために描いた6枚の絵の内の2枚がここに

    ゴヤがオスーナ公爵夫人のために描いた6枚の絵の内の2枚がここに

     

     

    死後まもなく、政府広報にて彼の寄付が報告され、彼の残した資産が明らかとなり、翌年にラサロ・ガルディアーノ財団設立。生前に自分の財産について明かさなかったガルディアーノだったが、死後明らかになった資産は驚くべき巨額で、当時のスペインで一番、ヨーロッパ全体でも5番目という財産を所有していたことが判明。

     

    ガラスの球の中に入っている小さなフィギュアに注目

    ガラスの球の中に入っている小さなフィギュアに注目

     

    貴金属とジュエリーで造られている、受胎告知の場面

    貴金属とジュエリーで造られている、受胎告知の場面

     

    「洗礼者ヨハネの瞑想」 この他にもヒエロニムス・ボスの作品が多数

     

     

    1951年に彼の邸宅を改修した場所に、彼の集めたコレクションを展示したラサロ・ガルディアーノ美術館がオープン。

     

     

    若き救世主(当初ダ・ヴィンチ作とされていたが、後に弟子のバルトラフィオ作と判明)

    若き救世主(当初ダ・ヴィンチ作とされていたが、後に弟子のバルトラフィオ作と判明)

     

    邸宅内部自体も芸術作品

    邸宅内部自体も芸術作品

     

     

    ラサロ・ガルディアーノの波乱の人生に思いを馳せながら、どんな時も彼が愛し続けた「美しいものたち」を見ることができ、とても充実した時間でした。敷地内には、こんな優しい空間もあって、入場者だけでなく、だれでも木陰で一休みできます。

      

    是非、また行って見たい、お勧めの美術館です!

    入場料は一般7ユーロ、学生と60歳以上は4ユーロ。

    公式HP:http://www.museolazarogaldiano.es/

     

    Lucymama

     

     


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