ドイツ ダッハウ強制収容所の観光・見所について

ダッハウ強制収容所

ダッハウ強制収容所

人類の歴史の中で戦争ほど不幸なものはありません。その辛く悲しい爪痕は世界各地に残り、また決して忘れないようにと多くのものが大切に維持保存されています。ドイツのバイエルン州ミュンヘンの北西15キロにあるダッハウの町にも、戦争の歴史、戦争の悲劇を忘れぬようにと残されている施設があります。それがダッハウ強制収容所です。ナチスドイツの手によって町の廃工場を利用してつくられたこの収容所は当初反体制派が収監されましたが、戦争が進むにつれて多くのユダヤ人が移送されてきました。ダッハウ強制収容所はナチス政権下でつくられた一番最初の収容所であり、あのアウシュヴィッツをはじめとする、目をそらしたくなるような悲劇を数えきれないほど生み出した強制収容所の先駆けとなった施設でした。旧市街には今なお中世の面影を残す美しい町のなかにあってダッハウ強制収容所は悲劇を語り継ぐ遺産として多くの人達が訪れる地となっています。

ダッハウ強制収容所1

見どころ

ダッハウ強制収容所の敷地にはいるとまず線路の遺構を見ることができます。囚人を運んだ列車の線路の跡です。監視塔を持つ大きな門がありその門の向こうにはかつて収容棟、調理棟、火葬場、処刑場がありました。現在残っている管理棟だった建物では強制収容所のシステムについての解説がパネル展示や映像で解説されています。収容棟はすべて破壊されましたが、展示用として2棟が復元され当時の想像を絶する収容所の様子を訪れた人達につきつけます。粗末な木枠だけのベッド、衛生面などまるで考慮されていないトイレ、囚人達に制裁を加える為の道具や遺体を処理する為の焼却釜などを見ることができます。またこの施設で行われていた非人道的な人体実験の様子や衰弱した囚人達を写した当時の写真も多く展示されています。この収容所では30000人以上の命が失われました。展示物のすべてがそれだけ多くの人達の命を飲み込んだ狂気の場所であったことを物語っています。ダッハウ強制収容所はまたダッハウの虐殺と呼ばれる事件が起きました。連合軍によって強制収容所が解放された直後、生き残った囚人達、連合軍兵士の手によってその場にいたナチスの将校がリンチ、虐殺された事件であり、憎悪と狂気の連鎖となってしまったのです。風光明美な場所にあるこの暗い場所は今も訪れる多くの人達に語ります。戦争の惨さ、愚かさを。負の遺産として、人類に対する戒めとして。ドイツ・ミュンヘンに訪れたら是非足を運んでみてください。