シヨン城
シヨン城はレマン湖に突き出す岩場に建ち、「建物の宝石」と歌われる美しい城です。スイス連邦ヴォー州、モントルー近郊に位置し、ダン・デュ・ミディなど周辺の山々とのコントラストがすばらしく、見方によっては湖に浮かんでいるように見えます。
1160年が最古の記録として残っていますが、城のある岩場は青銅器時代や古代ローマ時代から住居として使われていたことが知られています。ヴァレー州シオンの町の司教が所有していたのですが、イタリアへ抜けるルートとして重要視されていた為、12世紀中ごろにフランスのサヴォワ伯がレマン湖まで勢力を伸ばし城を所有し、最前基地として軍を駐屯させ兵器庫や牢獄として使用しました。13世紀になると別のルートが開通したので城は放置され、その隙を突いてベルンの軍が攻め込み所有者がベルンの代官へとかわります。この後260年間ベルンの砦として使われて来ましたが、18世紀のフランス革命の波がスイスにも及び、ヴォー州でも火の手があがりました。
そして1798年から城はヴォー州の所有・管轄となっています。
見どころ
シヨン城は1から46までの番号が部屋に付けられ、それに沿って行くことで食堂や領主の謁見室・客間、トイレや中世そのままのサヴォア伯のプライベートの礼拝堂が観て回れます。監視用回廊や天守閣・拷問が行われていた部屋などがあり、ゆっくり回ると2時間くらいがかかります。寝室ではベットがとても小さいことに気付かれるでしょう。これは当時半身を起こして寝ていた為で、このような生活についても知る良い機会でもあります。
4番目の部屋には城の模型があり、城全体を把握することができます。迷路のような城内にはあちこちに中庭があり、何よりも見ておくべき場所はボニヴァールの牢獄です。
バイロンの詩にも詠われた「シヨンの囚人」でも有名なボニヴァールはジュネーブのサン・ヴィクトル小修道院の院長でした。16世紀のジュネーブは司教を中心とする者たちとサヴォア伯を後ろ盾とする者たち、そして新興の市民勢力が拮抗していました。ボニヴァールはこの市民勢力のリーダー的存在で、サヴォア伯と対抗する為にベルンやフリブールと同盟を結び、さらに、ジュネーブに新教を導入しようとしていました。サヴォア伯は旧教信者であったので、政治的宗教的に敵対していました。このためボニヴァールはベルン軍が来るまでの4年間、城の地下牢に幽閉されていました。ボニヴァールが繋がれていた柱は現在も残されており、実際にその場に立つことも可能です。
ジュネーブ発 モントルー、シヨン城とチャップリン・ワールド
ジュネーブからヴヴェイ郊外にあるチャップリン・ワールドと、世界遺産に指定されたぶどう畑の広がるラヴォー地区、スイスを代表する古城シヨン城、リゾートシティのモントルーを訪れる1日ツアーです。