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ローマ公認ガイドの竹内です。
早速ですが、ローマには、魅力的な裏道がたくさんあります。
その一つが数々のハイブランドが並ぶバッブイーノ通りの裏道マルグッタ通りです。
バッブイーノ通りは、17世紀クレメンテ7世の時代に整備された通りでローマの北門・ポポロ門から3方向に伸びる通りの一つです。
この北門は教皇様の権力が増大した1500年代以降は教皇様との謁見に向かう際に利用することが多く、かの天正遣欧使節団もこの門から入場し教皇宮殿に向かったそうです。
当時は多くの貴族の宮殿が並び、現在マルグッタ通りがある場所には、お屋敷の倉庫や厩舎が並んでいました。
17世紀にバンボッチャンテイと呼ばれる画家のグループがこの界隈に住み始めたことをきっかけに、この通りは「芸術家の通り」と呼ばれるようになります。
彼らは、当時のローマに住んでいた庶民の姿を遺跡の残るローマの風景と共に生々と描き一世を風靡します。
この時からこの通りは芸術家の通りと呼ばれるようになり、1917年ピカソがローマに3カ月間滞在した際にもこの通りの53番地Bにアトリエを構えました。彼のアトリエがあった宮殿の入り口に隣接して50年前にこの素敵な工房ができました。
さすが芸術家の通りですね!
個性的な書体で大理石の看板を制作しているのは、サンドロさんです。
オーダーメードも可能だそうです。詳しくは、彼のF Bのページをご覧ください。
https://www.facebook.com/La-Bottega-del-Marmoraro-769355589806398/?ref=page_internal
それ以外にも面白いギャラリーや工房がひしめき合う魅力的な通りです。
さてピカソは、当時 ロシア・バレエ団のために『パラード』という作品の企画をジャン・コクトーと共に行っていて、そのバレエ団の公演を見るためにローマに滞在することになったそうです。
台本は、詩人、小説家、脚本家、バレエ製作者となんでもこなす多才なジャン・コクトー。音楽は、異端児エリック・サテイ、そして衣装と舞台装飾をピカソが担当するというドリームチームによる制作でした。
このバレエ団のバレリーナのオルガが後にピカソの妻となります。
ピカソはローマに滞在時に、スペイン階段界隈を散歩し、カフェ・グレコに行き未来派の画家たちと芸術談義をするのを日課としていたようです。
スペイン階段には、美人が多くて有名なチョチャーリア地方の女性が、ローマ在住画家たちのモデルの仕事を得ようと屯していたそうです。
ピカソの描いたイタリア女性と呼ばれる作品は、その一人をモデルとして描いた作品でチョチャーラ地方の民族衣装や背景にサンピエトロ大聖堂が描かれています。
ピカソとジャンコクトーが滞在していたのは、現在でも多くの有名人が宿泊することで有名なデ・ルシエホテルだったそうです。
https://www.roccofortehotels.com/hotels-and-resorts/hotel-de-russie/promotions/
ピカソのアトリエからも見えたピンチョの丘ののどかな景色が見えるシークレットガーデン内のレストランも有名です。
!さあ皆様もピカソの見たローマを体感してみませんか!
【街並み散策】ローマ散歩道 ピカソ編【ローマ】
2021-03-29
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