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私は、音大の卒業式の次の日に渡米して、1993年にニューヨークからローマに旅をしにやって来た青年。。。だった。
1991年の第一次湾岸戦争の時はニューヨークにいた。
その時、国連やその近辺のオフィスなどは、テロの危険性のために封鎖されてしまっていたのだが、そこで仕事にあぶれた奴らが、私の行きつけのクラブにも飲みに来ていたので、彼らとしばしば世界情勢やその裏話について語り合ったものだ。
ある晩、私はいつものクラブに行こうと、いつものようにタクシーを止め、乗車すると、ドライバーは女性だった。ちょっとふくよかで、上まぶたがふっくらした綺麗な女性だった。
ニューヨークは当時アメリカで最も犯罪率の高い都市だったので、「こんなに遅い時間に女性で、危ないことはないのですか?」と尋ねると彼女は「私は、未来がよめるんです。」と言う。
私は論理的でない事など信じない人だったので、ホントにニューヨークには変わった人間がいると思った瞬間、彼女は私の単純な未来を話し始めた。それは「あなたはもうすぐ長い旅に出るでしょう。」から始まるものだった。
それからたったの1週間後に私は、今はなきTWA航空でローマを訪れ、それ以来、今もローマにいる。
あの時、あのタクシーに乗った時、バックミラーに写った私の姿から、どうやってこのことを言い当てることが出来たのだろうか、、、不思議でたまらない。
今でも私は非科学的な事など信じないのだが、なぜか今私は、彼女があの時に言った長い旅をしている最中なのだと思えてくるのである。
実は、私がローマに来た時、ガイドブックも持ってこなかった(あはは)。今のように携帯はおろか、スマホやインターネットもない時代だったので、ローマがこんなに重要な観光地だったなんて事は、実は知らなかった(おほほ)。
私がローマに来た理由は、単に誰かと出会いたい的な不純な理由からだったのです(いひひ)。
それはともかく、どうやらこの私の長い旅とは、多くの旅人を案内するための旅のことだったようだ。
今や私はイタリア政府公認ガイドの免許を取得して、日本の旅人をローマやその他イタリアの各地に案内させて頂いている。
その時私が話す事は、歌って踊って恋しての平和なイタリア人のことや、美しい街の美術品、偉大な建造物の話ばかりではない。
その平和を守るために起こった数多くの戦争の話しである。
そういえば近年も世界は私たちが夢見るような常に平穏なものではなかった。
2001年の同時多発テロ事件に続いて、第二次湾岸戦争、各地で起こるイスラム原理主義者によるテロ事件、さらに私たちを産んだ自然界でさえも、時には私達をふるいにかける。
今回の目に見えない敵は、たくさんの人々の命を奪った上に、企業が倒産したり、観光業界にも打撃を与え続けている。
考えてみたら私たちのような生命は、戦いに勝つために進化して来たのだから、これも自然の摂理なのかもしれない、なぁんて理屈に酔っている場合ではない。
ローマの観光客は3月の頭からゼロになり、すぐさまイタリアは2ヶ月以上のロックダウンで外出禁止地獄。
それが解除された今、街は活気を取り戻しつつあるように見えるのだが、余談は許されない。
いつまでこんな状態が続くのだろうか。
こんな時にあのちょっとふくよかな女性のキャブドライバーが現れてくれたら、私にこれからの未来を教えてくれたかもしれないのだが。あの方は天使のようだったな~。
そういえば、ローマはたくさんの天使がいる街。
サンタンジェロ橋にかかるベルニーニ作の天使像
私の人生を予言した不思議な女性のはなし
2020-10-30
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