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過日のコンクラーベにより、
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が
新しいローマ法王に選ばれました。
アルゼンチン出身と報道されていますが
ベルゴリオというのは元々イタリアの苗字で
法王のオリジナルはイタリアとのことです。
法王名は「フランシスコ1世」
アッシジの聖フランチェスコが法王名の由来となり、
イタリアでは「フランチェスコ プリモ」と呼ばれます。
今回は新ローマ法王の名の由来となる
聖人フランチェスコ生誕の街、アッシジをご紹介します。
ローマからウンブリア州アッシジまではおよそ180km
専用車で約2時間半程走ったところのスバシオ山西麓に
丘陵上に築かれた城砦都市、アッシジの街が見えてきます。
このアッシジの街全体の写真が収まるスポットが
街のふもとからそう遠くない場所にあります。
上の写真がそのスポットから撮った写真です。
(写真左手は聖フランチェスコ聖堂です)
大体写真スポットの辺りから
写真下のように、レンガの道があります。
1997年9月26日に起こった地震で崩壊した
聖フランチェスコ聖堂を修復するためなどに寄付した
その方々の名前、都市名が
このレンガのひとつひとつに刻まれています。
レンガはこの辺りからアッシジの街まで続いています。
さて、アッシジの街のふもとには
世界遺産サンタ・マリア・デリィ・アンジェリ教会があります。
下記の写真がその教会です。
そしてこのサンタ・マリア・デリィ・アンジェリ教会の中に
小さなポルツィウンコラ礼拝堂があります。
そのポルツィウンコラ礼拝堂の裏にはもうひとつ、
トランジト礼拝堂も格納されています。
この礼拝堂で聖フランチェスコは
1226年10月3日に息を引き取りました。
礼拝堂内部には聖フランチェスコの彫像があり、
左右には初期の弟子たちがフレスコ画で描かれています。
また彫像の足元には
聖フランチェスコが締めていた腰紐がガラスケースに納められています。
丁度聖フランチェスコ聖堂がこんな風に見えるアッシジの街の中腹に、
街の駐車場があり、こちらから街の中心である
聖フランチェスコ聖堂まで200m程の坂道を歩くことになりますが、
お店を見ながらゆっくり歩きましょう。
この駐車場から更に上へ車で行くことは出来ません。
坂道を上りつめたところで、
聖フランチェスコ聖堂がこんな風に見えてきました。
こちらは聖堂を背にして広場を撮った写真です。
この日は特別な日だったようで、この広場に車が見えます。
(ここまで車で来ることは普段は禁じられています)
広場の上に上ると聖フランチェスコ聖堂正面に辿り着きます。
この入り口の中に、あの有名なジョットのフレスコ画をはじめ、
チマブーエ、マルティーニなどのフレスコ画が多数描かれています。
聖堂に入って手前右の壁から
フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画がはじまり
最後に入り口左手の壁に「小鳥への説教」を見ることができます。
またこの聖堂正面を背に右斜め前に道があり、
その道はコムーネ広場へと続きます。
かわいいヴェスパも見かけました。
マリア様も。
聖フランチェスコが誕生したとされる地に立つ「フランチェスコ両親の像」。
母親の手に握られている鎖がありますが、
それは実際にフランチェスコにつけられていた鎖です。
そしてこの銅像の前にあるのが、この教会
こちらは、新しい教会という意味のヌオーヴァ教会、
聖フランチェスコの生家の跡地に建てられた教会です。
その他、サンタキアーラ教会など観るところは沢山あります。
この聖地アッシジは毎年多くの人が訪れていますし、
私自身も1996年にイタリアへ来て一番最初に訪れた場所は
この聖なる街、アッシジでした。
当時、イタリア語も全く話せない私に
手作りの葉書が置いてあるお店の店員さんから
" これからイタリアに住むあなたへ神のご加護がありますように " と
無料でイニシャルの入った葉書をいただいたことを覚えています。
聖フランチェスコの精神が今なお街の人に息づいているように感じられた
忘れられないたいせつな思い出となりました。
そんな素敵な城砦都市、アッシジの街を
是非、皆様に訪れてほしいと願っています。
弊社みゅうではこの聖なる街、アッシジへ専用車を用意して
日本語アシスタントと一緒に行くツアーをご案内しております。
このツアーは下記から予約可能です。
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皆様からのご予約をお待ち申し上げます。
本日もみゅうブログサイトへお越しいただきありがとうございました。
専用車・日本語アシスタント付de聖フランチェスコの街アッシジへ!
2013-03-16
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