-
こんにちは、公認ガイドの竹内 みどりです。
今回は、ローマ旧市街地南部に位置するテスタッチョ地区。(地図①)をご紹介したいと思います。
ローマ料理が生まれた場所で、レストランやストリートフードのお店、さらにはローマで最も活気のある市場があり、下町の雰囲気を味わっていただける場所です。
この地区の名前は、こちらのテスタッチョ山(地図②星印)に由来します。
山といっても全周1km高さ54m、土器片が積み重ねられて造られた人口の丘です。
テスタッチョというのは、ラテン語で陶器片という意味なのです。ローマの支配地の拡大に伴い都ローマの人口も増大し、属州アフリカやスペインから大量に食料が運ばれました。そのために紀元前2世紀、ここに川沿いの港とそれに関連する倉庫などが建設されます(地図②赤い部分、地図③再現図)。今でもテスタッチョ地区の各所でその遺跡を見ることができます。地図でご覧いただくテスタッチョ市場は(地図②)2005年に改装されましたが、その際に大量のアンフォラ(オリーブオイル・ワイン・ガルムなどの運搬や保存に使う素焼きの壷)の残る倉庫の遺跡が発見されます。現在でも市場の地下にその遺跡は保存され見学することも可能です。この遺跡で発見されたようなアンフォラのなかでリサイクル不可能なものが廃棄されてできたゴミ山が実はテスタッチョ山なのです!
さて、そのアンフォラの破片が積み上げられた丘とはどんなものかというと、、、
こちらは、F L A V I O A L V E L A V E V O D E T T Oという有名店で、『ローマでカルボナーラが最も美味しい店ランキング』で必ず登場するレストラン、同時にテスタッチョ山の見学もできる場所です。
世界的に有名なカルボナーラの本場ローマでは、ベーコンでカルボナーラを作る!なんていうと
『ローマ料理を罵倒する行為だ!!!』なんて大変な剣幕で怒られてしまいます。しかし、、、
歴史を遡ってみると、シェフ、レナート・グワランデイが1944年にアメリカ人好みのパスタを!とベーコンと卵とチーズを使ったパスタを考案し、これがカルボナーラの起源だ!というのが有力説です。もちろん大半のイタリア人はこの説を否定していますが。。。
その後、ベーコンではなく特産品のグワンチャーレへ、チーズはペコリーノ・ロマーノ(羊乳を使って作るローマ伝統の熟成チーズ)を使おうと変化をとげたのは、1960年代になってからのようです。さらに1989年には神のように崇められていたシェフ、マルケージ・グワルテイエロさんは、生クリームの使用を推奨しています。今では『生クリーム入れないの?』なんていうとやはりローマっ子に軽蔑の眼差しで見られてしまいますが、と進化を遂げ現在のローマ名物カルボナーラ*DOPが出来上がったのは、90年代になってからの様です。
*DOPは原産地保護呼称と訳されますが、イタリアの特産品を類似品と差別化するために欧州委員会が認定する商標ですが、現在では『正真正銘の』という意味の形容詞として使われます。
もちろん上述のレストランでは、グワンチャーレとペコリーノ・ロマーノで調理されていますよ!(写真④)ここのお店は黄身だけを使っているようですが、少し白身を使うお店もあります。
私は、少し白身が入っている方がまろやかで好みですが、ローマにお越しの際には是非、色々とお試しください!
さて、地図②に旧屠殺場というのがありますが、現在は造形美術を推進するスペースとして展示会やワークショップが催されています。
さてこの屠殺場は、1824年に時の教皇、時の権力者レオ12世が教皇領の衛生レベルを向上する目的で建設させました。ジョアッキーノ・エルコックという建築家が設計をと担当し、ローマに存在する産業遺跡の中で最も重要なものの一つです。神殿のような素敵な正面玄関での記念撮影もお忘れなく!
屠殺場は、市の人口が200万人に達した際に移転されますが、ローマの料理の誕生に非常に重要な役割を果たします。
実は、ローマ料理の多くは、牛肉や豚肉の安価な部位を利用して生まれたシンプルな料理が多いのです。
例えば、テールの煮込みや仔牛の腸を煮込んだソースのパスタなど、これにより材料の入手がしやすい屠殺場の近くでローマ料理が生まれ、今でもその専門店が集中しているわけです。現代版カルボナーラが生まれたのもグワンチャーレが入手しやすい、ここテスタッチョで生まれた可能性大ということになりますね。
つい、カルボナーラ解説に夢中になり文字を費やしてしまったので、テスタッチョ市場やローマのピラミッドなどは、テスタッチョその2でご案内したいと思います。
テスタッチョ地区その1
2021-06-15
最新記事