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ミラノから南へ30分ほどのところにあるパヴィア。西暦7世紀にはロンゴバルド王国の首都となったロンゴバルトの足跡の残る町。また、ヨーロッパでも有数の美しい修道院があることで知られています。
イタリアでも最も美しい修道院のひとつに数えられるこのパヴィアの修道院は1389年、ミラノ公ジャンガレアッツォヴィスコンティにより建設が始まりました。伝説によると、ジャンガレアッツォ二人目の妻、カテリーナの祈願のため(長女が死産したこと。その後ヴィスコンティ家では男子が生まれても、聖母の加護があるようにと、マリアと言うセカンドネームをつけるようになる)に造られたと言われています。
パヴィアの修道院へはミラノから列車で、30分、Certosa di Paviaと言う駅で降ります。
こーんな小さな駅ですが、ミラノ間の列車は30分間隔であったりします。駅を出ると、え?どこに行ったらいいのお?て感じですが、よおく目を凝らして正面を見てみると・・・遠くにかすかに修道院の姿が。
↑こーんなふうに見えております。だからと言ってまっすぐ歩くわけではなく、壁沿いに右に曲がって歩いていきます。
景色はこんな↑感じ。
徒歩15分から20分くらいで到着。
開館時間待ち。結構時間短いですし、お昼休みありますので、ちゃんとチェックしてから行きましょうね。
さて開館するとあの有名な美しいファザードが見えてきます。
う、美しいです。イタリアで最も美しい装飾が施されたモニュメントと言われています。カンドリア、カッラ-ラの大理石、オリアのサーペンティン、サルトリオの黒石、象嵌細工には赤の斑岩、緑の斑岩が使われ、カラフル!!
注目は下半分の彫刻群。これをじーっくり見て欲しい。アマデオの作品がたくさんあります^^
ちなみにファザードは密かに未完。本当はこのように↓
なるはずだったんだそうで・・・・。まあ、いいかっ。
内部に入ると・・・
青の僧院とも言われる美しいラピスラズリの色。
奥のトランセプトへの柵が時間になったら開いて、修道士さんのガイディングツアーが始まります。残念ながらここから写真はNGです。
柵が閉まっていたら、辛抱強くお待ちいただきますと、次のガイディングツアーが始まりますからね^^
入ってすぐ左には、ダヴィンチに最後の晩餐を発注したミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロとその奥様、イザベラデステの妹であるベアトリ-チェの霊廟(ジャン・クリストフォロ・ソラーリ作)が置かれています。
小回廊に出てきました。ロンバルディアの建築は本当にテラコッタの色が鮮やかで美しい。
小回廊からのこの眺めが青空に映えて美しい。
工事のクレーンが残念・・・。
南の角にある洗い場。1466年にはすでに使われていたと言われる、コットと大理石を組み合わせた美しい洗い場。皆でとる食事の前の洗浄に使われていた。若年のアマデオ作(いくつかの部分は別の手によるものと思われるが作者不明)
リュネットには受胎告知、井戸でのイエスとサマリア女性。
こちら↑は大回廊。
124x102mの大きな回廊。作られた当初は個室が23。その後1514年に増やされ36部屋にまでなった。現在は24の個室、それは修道院の住居であり、それぞれ3つの部屋とひとつの庭で成り立っている。扉の横には小さな開閉扉があり、そこから平日の食事を受け取っていた。皆での食事は日曜日のみ、食堂でだった。
123のアーチからなる広いポルティコはソラーリにより、1400年代の半ばに作られた。カンドリアの白い大理石とヴェローナの赤い大理石が使われ、コットとのコントラストが美しい。
しかし、隠者のカルトジオ修道院がこんだけ豪華って珍しいのでは???
70年前までカルトジオ会があったので、誰もここには入ることはできなかったが、この美しい僧院を訪問できる機会を皆が懇願したことから、カルトジオ会はトスカーナやカラブリアに引越し、50年前からシトー会(ベネディクト派)が引っ越してきて、ここが見学可能になった。シトー会はカルトジア会のような隠者生活では無く、大部屋で寝泊りして生活するとのこと。
こちらで修道士さんのガイディングツアー終了。入場は無料ですが、ここでお布施を渡すことになります。(相場は一人5ユーロ)
出口にはミュージアムもあって、数々の美しい浮き彫りの石膏コピーがあるのでこちらもお勧め。
北イタリアを訪れる際には、是非この麗しき修道院まで是非足を延ばしてみてください。
パヴィア修道院
2018-08-11
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