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    ローマ法王ベネディクト16世、退位表明


    2013-02-11

  • 本日11日

    ローマ法王 ベネディクト16世の退位表明がありました。

    2月28日付けで法王を辞任されるということです。

    ローマ法王が退位表明するのは

    1294年教皇となったケレティヌス5世

    (聖 ピエトロ・デル・モッローネ) に次いで2度目。

    このケレスティヌス5世はもともと修道士で、

    ベネディクト会系のケレスティヌス会の創始者でした。

     

    法王は枢機卿の中から選ばれますが、当時はまだ

    枢機卿じゃなければならないというわけでもなく、

    教皇選挙でなかなか教皇が選ばれず2年以上も経った頃

    修道院長だったピエトロ・デル・モッローネが枢機卿会に

    手紙を送りました。

    すると、この手紙がたまたま読み上げられ、

    品行方正な修道院長を教皇にしようということで

    法王に選ばれました。

     

    聖なる修道士ではありましたが、教皇としては力不足だったようで

    ケレスティヌス5世は修道士に戻ろうと、自ら辞任を申し出たのです。

    在位期間は正確には8月29日~12月13日の3ヶ月半でした。

    選出は7月5日なので選ばれてからは5ヶ月半弱、ちなみに

    当時の教会法では戴冠式をもって正式の在位とされていました。

     

    一説によれば、ベネデット・ガエターニ枢機卿

    ( アナーニ事件で有名な次代のボニファティウス8世 ) が

    夜な夜な送風管から " 辞めなさい辞めなさい辞めなさい "と

    囁いていたとも言われています。

     

    ケレティヌス5世 (聖 ピエトロ・デル・モッローネ) は

    聖人として列せられていますが、それは修道士としてであり

    教皇の事績からではありません。

    またダンテ「神曲」では、教皇位を投げ出した罪として

    地獄へ落とされています。

    さて、今回のベネディクト16世の退位表明ですが、

    エジプトの日刊紙のような一部の新聞では癌とか

    アルツハイマーとかという風に

    重病説を書かれているものもあります。

    宗教関係者の中では「最近痩せられた」などといった

    会話はあるようですが、本当のところはわかりません。

    健康上、あるいは気力の面での衰えがあったのかと思います。

    ローマにはこういう言葉があります、

    「 morto un papa se ne fa un altro 」

    モルト ウン パーパ セ ネ ファ ウン アルトロ

    教皇が崩御されればまた別の教皇が現れるだろう と言う意味です。

    仕事で誰かが辞めてしまっても誰か次が居るさ、と言う時などにも

    この言葉を使ったりしますが、

    今回はこの言葉には当てはまらない特別なケースとなるようです。

    ※ 写真はサンピエトロ寺院内です。

    さて、しばらくすると枢機卿の中から

    新しいローマ教皇を選ぶ

    CONCLAVE (コンクラーベ) が始まります。

    この習慣が始まったのは1271年から。

    枢機卿は新しい教皇が決まるまで部屋に閉じこもり

    会議を行います。

    決まると同時にヴァチカンの煙突から白い煙が出るのです。

    コンクラーベの時はサンピエトロ寺院前には

    多くの報道陣のためのスタンドが特別に設けられ

    いつでも生放送出来るような体制です。

    次の法王が決まるまで、法王報道一色となりそうです。

     

    ※ みゅうローマ半日市内観光では、今の段階では

    通常通りサンピエトロ寺院へもご案内する予定です。

     

    本日は友人のぴおぴおさんから

    情報をいただきました、ありがとうございました。

     

    本日もみゅうブログサイトへお越しいただきありがとうございました。


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